氏名

エメルソン
よみ マルシオ・エメルソン・パッソス(Marcio EMERSON Passos)
生年月日 1981年9月6日
※一応、チーム登録内容に準拠。本来は1978年12月6日生まれとされる。
出身 リオデジャネイロ州ノバイグアス市(ブラジル)
血液型  
身長 171cm
体重 69kg
ポジション FW
利き足
背番号

36(2001)
10(2002〜2005)

解説

速度違反の足と、数打ちゃ当たりまくるシュートと量産されるゴールでスタジアムを沸かす、天性のストライカー。

2000年、来日。コンサドーレ札幌に入団し、J2で浦和レッズと対戦した際はかなり痛い目にあわせてくれた。

2001年、コンサドーレ札幌がJ1昇格を果たすも、川崎フロンターレへ移籍。鹿島アントラーズなどからのオファーもあったというが、サンパウロFC当時の恩師、ピッタコーチが川崎フロンターレにいたことがポイントとなったという。J2で半年戦うが、8月からピッタコーチとタイミングを共にして浦和レッズに完全移籍。エメルソン個人としては半年遅れたJ1昇格となる。

2002年、Jリーグベストイレブン。

2003年、JリーグMVP、ベストイレブン。ナビスコカップの優勝に貢献。

2004年、得点王と、3年連続となるベストイレブンを受賞。結婚もして、公私共に大活躍。

2005年、前半戦はコンディション調整不足で活躍せず。なかなかブラジルから来日せず、じらしにじらした後、カタールのアル・サードへ電撃移籍。多くのファンを裏切る結果となったが、クラブとしては移籍金とその後の出生届詐称の問題などの諸々に巻き込まれなかったことなどで大きなプラスを得た。

2006年1月20日、出生届の不正使用でブラジル連邦警察に逮捕。
1978年12月6日生まれのマルシオ・エメルソン・パッソスの届けと、1981年9月6日生まれのマルシオ・パッソ・デ・アルバカーキの届けを使い分けていたという。
その後、カタールのクラブ関係者などから保釈金を支払ってもらってカタールに戻れた。
浦和では、前者の名前と後者の生年月日を使っていた。後者なら、もうエメじゃないじゃん。。。アルバカーキ?

10月5日、カタール国籍を取得したという情報が報道された。ここまでオイルマネーにどっぷりなのも、ある意味凄いとは思うが、セレソンにはなれないということを身に染みて理解しているのかもしれない・・・。

わがまましどうしのやんちゃ坊主で、ギドが監督となったころからピッチ上でのやんちゃぶりは鳴りを潜めていたものの、ピッチ外、特にブラジル帰国前後の暴れん坊ぶりはクラブの悩みの種だった。
遅刻癖は治らず、天皇杯前には帰国。中断があると帰ってしまって戻ってきた時はふっくらと肥えて来るというていたらく。

それをも引いて余りあるポイントゲッターぶりは流石。ワールドクラスのスピードとトリッキーなドリブル、キレのある球捌きと、匂いがしてもしなくてもとにかくシュートを打つその感性。
エメ神様と呼ばれる所以。

家族は夫人。16歳の頃、前妻との間に息子(ケビン)が生まれているが、実家の母に預けているという。
2006年6月〜7月、兄のクラウジオが浦和レッズのホペイロ(ポルトガル語で用具係の意)を務めていた。
異母弟のルイスが2001年に川崎フロンターレに在籍している。
遅刻の言い訳に、家族がよく使われていた。。。

お金を稼ぐことに執着しているきらいがあるが、親戚や地域の子供たちを学校に通わせるための費用を捻出するなどの一面も持っている。

所属暦 サンパウロFC(ブラジル)
コンサドーレ札幌
川崎フロンターレ
浦和レッドダイヤモンズ
アル・サード(カタール)
出場試合数 125試合
得点数 93得点
代表暦 U-17 ブラジル代表
タイトル
2002年、Jリーグベストイレブン。
2003年、JリーグMVP、ベストイレブン。ナビスコカップの優勝。
2004年、得点王、ベストイレブン。2ndステージ優勝。
コール(1)
エーーーメーーーー、エーーーメーーーー、エーーーメーーーー
コール(2) バーモ、エーメ、バーモォス! バーモ、エーメ、バーモォス!
コール(3) エメ! ララ ララララーララー、エメ! ララ ララララーララー
エメ! ララ ララララーララー、ラ、ラ、ラ、ラ、ラ、ラ
エメ! オオ オオオオーオオー、エメ! オオ オオオオーオオー
エメ! オオ オオオオーオオー、オ、オ、オ、オ、オ、オ