氏名 |
クビツァ |
よみ | アンジェイ・クビツァ(Andrzej Kubica) |
生年月日 | 1972年7月7日 |
出身 | ポーランド |
血液型 | |
身長 | 190cm |
体重 | 85kg |
ポジション | MF/FW |
利き足 | |
背番号 |
34(2000) |
解説 | イスラエルリーグ得点王がそのまま浦和レッズの救世主となるべく、期待のポストプレイヤーとして入団。 ロングボールへの対処は得意とは言えなかったが、中盤でボールをうまく繋げられるプレイヤーとの相性はよい。 人柄がよく、ピッチ内でも頭に血が上ることは少なかったのか、警告は少なかった。
2001年、浦和レッズのJ1昇格を見て、大分トリニータがオファーを出し入団したが、シーズン前半で退団。11試合で6得点と調子はよいものの、それ以上の結果を求められ、また、監督の石崎信弘が更迭されたこともあり解雇された。その後、大分は68試合で48得点の実績を持つベンチーニョが入団し、終盤まで昇格争いを演じたが、結果として6位で終わった。大分は翌2002年、J2優勝を飾り、J1へ昇格している。大分退団後はイスラエルへ戻ってプレーを続けた。 2006年、ポーランドのゴルニク・レクズナへ移籍。34歳で現役を続ける。 愛称はアンジー。 Kubicaの発音的には、「クビツァ」、「クビサ」が近い。「クビカ」は誤りだが、「首か」ともじられて揶揄する他チームファンに使われたりした。 長身の割に足下がしっかりしていて、巧みなボールさばきとキープ力でポストを努めたが、電柱プレイヤーとしてのイメージが強く、電柱フォワードに対し、盛田を「モリツァ」、梅田を「ウメツァ」と呼ぶなど、浦和レッズの伝統的な愛称としてその名を残している。 |
所属暦 | ザクレビ・ソスノビエツ(ポーランド) ラピド・ウィーン(オーストリア) FKオーストリア・ウィーン(オーストリア) レギア・ワルシャワ(ポーランド) KSVワレヘム(ポーランド) スタンダール・リエージュ(ベルギー) OGCニース(フランス) スタンダール・リエージュ(ベルギー) マッカビ・テルアビブ(イスラエル) 浦和レッドダイヤモンズ 大分トリニータ アシュドドSC(イスラエル) ベイタル・イェルサレム(イスラエル) マッカビ・テルアビブ(イスラエル) ゴルニク・レクズナ(ポーランド) |
出場試合数 | 35試合 |
得点数 | 11得点 |
代表暦 | ポーランド代表に選出されたことがあるが、試合出場は無し。 |
タイトル |
イスラエルリーグ得点王 |
コール |
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