氏名 |
永井 雄一郎 |
よみ | ながい ゆういちろう |
生年月日 | 1979年2月14日 |
出身 | 東京都新宿区 |
血液型 | B型 |
身長 | 184cm |
体重 | 75kg |
ポジション | FW/MF |
利き足 | 右 |
背番号 |
35(1997年) |
解説 | レッズの9番を継ぐ男。長身FWながら、足捌きとスピードに優れたドリブラー。 1997年、開幕戦の対横浜M戦で先発デビュー。井原、小村といった、当時を代表するDFをドリブルで翻弄した。 2000年5月18日、J213節。対湘南戦。前年に共にJ2降格を経験した者同士の対戦は、永井の5人抜きドリブルからゴールが駄目押しとなって2-0の勝利。 2001年、入団から「永井が得点するとレッズは負けない」という実績を残していたが、8月11日神戸戦で潰えた。ゴールするも1-3で敗戦。駒場につめかけたサポーターもがっくり。 2004年05月29日、ヤマザキナビスコカップ3節。対大分戦でセンターライン前からの6人抜きゴールを見せる。 2004年8月21日、2nd2節。対東京V戦でハットトリックを達成。試合はエメルソンのゴールと山瀬功治のハットトリックで7-2の勝利。特に永井の3点目となるゴールは、自陣からの80m独走ドリブルからのゴール。ドリブルの冴え渡るイメージが、レッズサポーター以外にも鮮烈に刻み込まれた。 2005年11月1日号の週刊サッカーマガジンでは、ドリブルの最も恐い男として、J1のDF投票で1位を獲得する。 そういえば、肩から背中にかけて大きく刺青が彫っている。練習中に上半身裸になったり、ノースリーブのシャツを着ていたりすると見ることができる。2005年の試合中、途中交代した時にユニを脱いで、テレビに大映しになっていたりもして、物議を醸し出していたりもした。 上背はあるけど、ヘディングは少ない。競らない。ドリブルが好き。でも、案外ヘディングのゴールもあったりする。 |
所属暦 | 三菱養和SS 三菱養和SC 浦和レッドダイヤモンズ カールスルーエSC 浦和レッドダイヤモンズ |
出場試合数 | |
得点数 | |
代表暦 | 国際A代表4試合出場 1得点 1994年、アジアユース代表に選出。 1997年、ワールドユース代表に選出。結果はベスト8。 城定信次が同時に選出。他クラブからも、宮本恒靖(G大阪)、柳沢敦(鹿島)、中村俊輔(横浜M)などが選出された。 1999年、二度目となるワールドユース代表に選出。結果は準優勝。 小野伸二、酒井友之(市原)が同時に選出。池田学は感染症の予防が完了していないという理由で選出されなかった。他クラブからも、中田浩二(鹿島)、稲本潤一(G大阪)、加地亮(C大阪)、小笠原満男(鹿島)、高原直泰(磐田)などが選出された。 2003年、A代表に選出。4月16日の韓国戦で代表初キャップ、初ゴール。ジーコジャパンに初勝利をもたらした。 |
タイトル |
1995年、Jリーグ得点王32得点(50試合) 1995年、ベストイレブン 1995年11月、アジアサッカー連盟(AFC)月間最優秀選手 |
コール |
アレー ナーガイ アレー アレー ナーガイ アレーェー アレー ナーガイ アレー アレー ナーガイ アレーエェー |