氏名 |
三都主 アレサンドロ |
よみ | さんとす あれさんどろ |
生年月日 | 1977年7月20日 |
出身 | ブラジル・パラマ州マリンガ市 |
血液型 | A型 |
身長 | 178cm |
体重 | 72kg |
ポジション | MF |
利き足 | 左 |
背番号 | 16(2004) |
解説 | 左サイドのスペシャリスト。16歳の時に明徳義塾にスカウトされ、日本でプロになることを目指して入学。清水エスパルスに入団し、1999年のステージ優勝、2001年の天皇杯優勝に貢献。 2001年11月12日に日本国籍を取得。改名前は、アレッサンドロ・ドス・サントス(Alessandro dos Santos)。登録名は、従来のままアレックス(Alex)としているが、帰化を機に、報道では三都主と呼ばれることが多くなった。 イングランド・プレミアシップのチャールトンへの移籍を望むも、労働許可が下りずに移籍できなかった。 2004年、浦和レッズに移籍。不動の左サイドとして活躍する。 2005年、マリッチとのゆりかごダンスでテレビに大映し。結構怖いと評判。 2006年、右足ゴール、ヘッドでのゴールを決めて、攻撃の幅が広がった。周りもマスコミも結構びっくりしていたけど、案外一番驚いているのは自分だったりして。でも、練習の賜物だよね。 2007年、オーストリアのレッドブル・ザルツブルクに期限付き移籍。ブルズカップ直前で太腿の怪我を負い、レッズとの対戦は果たせなかった。リーグ再開後初試合で初先発、初アシストを決める。 日本国籍を取得してからは代表にも選出されるようになるが、ジーコ監督下では左サイドバックのポジションに置かれ、守備も行うようになるが、本人の攻撃を得意としたプレースタイルに合わず、葛藤が生じていた。 オシム監督に代わっても代表に選出されている。古井戸の残り水と呼ばれていたけど、ベテランとしても活躍しているね。 浦和に来てからは、清水時代のドレッドヘアーから丸刈りに。短髪を赤く染めたり、後頭部に「三」と剃りこみを入れたりと、ちょっと遊んでいる。たまに「ALE」をデザイン化した剃りこみを入れていたり。 |
所属暦 | グレミオ(ブラジル) 明徳義塾高校 清水エスパルス 浦和レッドダイヤモンズ レッドブル・ザルツブルク(オーストリア) |
出場試合数 | |
得点数 | |
代表暦 | 国際A代表66試合出場 5得点(2006年2月23日現在) |
タイトル |
1998年、天皇杯 優勝(清水) 1999年、Jリーグ2ndステージ 優勝(清水) 1999年、アジアカップウィナーズカップ 優勝(清水) 1999年、JリーグアウォーズMVP受賞 1999年、ベストイレブン受賞 1999年、アジアカップウィナーズカップ決勝ラウンドMVP受賞 2000年、天皇杯 優勝(清水) 2001年、ゼロックススーパーカップ 優勝(清水) 2002年、天皇杯 優勝(清水) 2004年、ナビスコカップ 準優勝(浦和) 2004年、Jリーグ2ndステージ 優勝(浦和) 2005年、天皇杯 優勝(浦和) 2006年、ゼロックススーパーカップ 優勝(浦和) |
コール |
サントスーアレサンドーロー サントスーアレサンドーロー サントスーアレサンドーロ レッツゲーットゴール サントス、アレサンドーロー |