氏名

田北 雄気
よみ たきた ゆうき
生年月日 1967年5月16日
出身 埼玉県浦和市
血液型 A型
身長 183cm
体重 80kg
ポジション GK
利き足  
背番号

非固定(1992〜1996)
16(1997〜1999)
1(2000)

解説

浦和レッズ初年度から努力とコンディション維持を欠かさず、土田尚史と競争することでGKの質をお互いに高めた。
選手時代はお互い口も利かないほど険悪なムードだったが、引退後はかなり仲がよくなったらしい。

1996年、それまで土田尚史にポジションを独占されていた形になったが、土田の怪我をきっかけに全試合出場する。1996年11月9日、横浜フリューゲルス戦でPKを決め、Jリーグ初のGKによる得点をマークした。
以降、土田との激しいポジション争いを繰り広げる。

2000年のJ2、17節、コンサドーレ札幌戦では、「田北おまえはもう死んでいる!byエメルソン」と札幌サポーターに断幕をかけられたりもするくらい、正GKとして活躍した。
ちなみに相手札幌は岡田武監督率いるエメルソン、播戸竜二など、J2優勝の原動力となるそうそうたる面々。J2時代一度も勝てず、この試合もビジュに決められ、0-1で敗戦。駒場でがっくり。
その2000年シーズン、西部洋平、安藤智安という次代GKの台頭もあり、J1昇格を見届けつつ現役を引退。

引退後は、フットサルIPDFCの選手、日本代表を経て、横浜FCのGKコーチに就任。
2002年の浦和レッズのフィジカルコーチ、喜熨斗勝史も横浜FCのコーチをしている。

所属暦 大宮東高
東海大学
NTT関東サッカー部
浦和レッドダイヤモンズ
出場試合数 J1:114試合、J2:32試合
得点数 J1:1得点、J2:0得点
代表暦  
タイトル
 
コール
ゆーきー、ゆーきー
たーきぃーた、ゆーきー