氏名 |
田中 マルクス 闘莉王 |
よみ | タナカ マルクス トゥーリオ |
生年月日 | 1981年4月24日 |
出身 | ブラジル・サンパウロ郊外パルミイラ・ド・エステ |
血液型 | B型 |
身長 | 185cm |
体重 | 82kg |
ポジション | DF |
利き足 | |
背番号 |
2004(4〜) |
解説 | 闘志みなぎる屈強なセンターバック。ハイボールに無類の強さを示し、競り合いではほとんど負けない。 日系3世のブラジル国籍だったが、2003年10月に日本帰化。改名前は、マルクス・トゥーリオ・ユウジ・ムルザニ・タナカ(Marcus Tulio Lyuji Murzani Tanaka)。それまで外国人枠でトゥーリオの登録名だったものを、田中マルクス闘莉王に変更した。 2001年、サンフレッチェ広島に入団。新人ながら、外国人選手として期待されたこともあり、コンスタントに出場。 2002年、広島のJ2降格を止められず、責任を感じJ1復帰のためにプレーを続けたかったが、A契約の外国人枠の問題から、J2の水戸ホーリーホックへレンタル移籍。 2003年、水戸でDFながら、チーム得点王を獲得するなどの活躍で、それまでJFLからJ2に昇格したものの下位に低迷していたチームを、12チーム中7位にまで引き上げた。年間成績ではこの年がチーム最高位。 2004年に浦和へ移籍。アテネオリンピック代表にも選出された。 2006年7月26日、15節対大分戦、競り合いで落下した際に背中から落ち、「口や鼻から出血が止まらなかった。内臓かどこかが切れていた」が、90分戦い続けた。 女性や子供に弱い一面を持つ。嫌いではないらしいので、優しいのか、恥ずかしがり屋なのか。 ブラジルへも中継することのある試合では、ヒーローインタビューなどでポルトガル語の返答をする。故郷の両親が見ているから、という。親思い。 |
所属暦 | ミラソルFC(ブラジル) 渋谷幕張高校 サンフレッチェ広島 水戸ホーリーホック 浦和レッドダイヤモンズ |
出場試合数 | |
得点数 | |
代表暦 | 2004年、アテネオリンピック代表 2006年、キリンカップ代表選出 |
タイトル |
2004年、ベストイレブン 2005年、ベストイレブン |
コール |
バモ トゥーリオ バモ トゥーリオ われらーととーもーにー バモ トゥーリオ われらーととーもーにー |